総括

まだフェイスブックが盛んでなかった6年ほど前、ブログが流行った。
世界的な潮流からは遅れて、仲間内で流行ったやつだ。
先輩でkusamaoさんやキリさん、同輩でchihiro、脇さん、たろー、竹やん。後輩では浅葱色くんが気合い入れてた。
みんなそれぞれ始めた動機があったはずで、chihiroなんかは「俺もそろそろ発信しなきゃな」と笑いながら言ってたけど、
だいたいみんな100を超す記事を書いたのにある時期すっとやめてしまった。


この現象は2011〜12年ころのことで、僕らが就職した時期およびfacebookが日本で普及しだした時期とほぼ重なる。
その昔侍魂とかのテキストサイトが流行って、高校の頃なんかは家にパソコンが置かれるとともに
無料サーバーを借りて自分サイトとか仲間内のwebサイトを作る子がクラスにも何人かいた。
これらは何を求めてやってたのかと言うと、侍魂みたいな本当に面白い個人サイトは別として
何等か自分が作った物や考えたことを発信してレスポンスを受ける事で
誰かとコミュニケーションを取ることだったと思う。


やがてテキストサイトはブログにとってかわられるけど、
ブログの方が作るの簡単だし記事毎にレスポンスを受けられるメリットが光っていたからだろう。
そしてそのメリットを追求すればフェイスブックはより簡単かつコミュニケーションがとり易いツールってことで
ブログにとってかわられたのだと。


こんなことを西暦2015年のある日気づいて、なんだか懐かしくなった。
自分のブログを覗くとまだ残ってて更新は5年前にストップしたまま。
友人たちのブログもだいたい同じ。


さて、地元を離れて寂しかった頃何冊か社会学の本を読んで自分をなぐさめようとしたんだけど
ある本にあった承認ってワードがこの現象を総括してくれると思う。


友達の皆さん、私のこと好きすか?そこの上司さん、私は役に立ってますか?
私はこの社会に存在していいんでしょうか。いる意味ありますか?


この問いに対するYESが承認だそうな。
友達と会話するでも、本当に腹を割って話すのはむずかしい。
考えてることをまとめて口にするのすら難しい。
ゆえにブログに吐き出して、自分の思いを見てもらいながらみてレスポンスも求める。YESと言ってもらう。
こうして承認を求めるのがこのブログだったんだね。


フェイスブックも勿論同じで、今日も寂しい大人たちの承認合戦が繰り広げられてます。
有益なニュースをシェアする人も、うがった見方をすればやっぱりどこか役立つ自分を認めて欲しいんじゃないでしょうか。
もちろん俺だってみんなに認めて欲しい!面白いって言って欲しい!
しかしま、フェイスブックが有益なのはたしかなのでこれだけで括れないんだけど。


一方でみんな分かってることは、本当の承認を得るためには
仕事とか家事とか人付き合いとかしっかりやるのが一番ってこと。
みんながブログから旅立った背景にはこのへんの自意識確立を促す意味もあったんじゃないだろうか。


さて、続けて私が総括したいのは当ブログについてである。
第1記事に「忘れっぽいので」とかかっこつけてるが、
読み返せばまさに上に書いた通り「私の声を聞けーっ!」的なむなしさあふれる内容である。
しかもいちいち偉そうでムカつくしお前のポートフォリオなんか誰も見たくねーよ。
ソッコー削除してやるぜ!


と言いたいんだけど、まだ残す。
社会人になると学生時代と違う頭の使い方をしなきゃいけないし5年間そうしてきたつもりだ。
でもたまには昔みたいな考え事をしてないと気合がもたなくなるのだ。
このブログは作成者ですら5年間見てなかったのでもう誰も見ていないのは明白なのだが、
これを逆手に取って本当に自分用のメモ書きに使うのも手だ。
ラーメン食ったり本読んだりしたらまた何か書こうっと。