ラーメンとミシュラン?

先にお断りしておきたいが、
僕の中でのミシュラン像というのはものすごく古く、
現在のそれとはまったく別物と思われる。
それでも僕にとって憧れだったミシュランというのがあり、
そこへの懐古的な憧憬から空想したことを書き留めたい。


蔦は2012年に巣鴨でオープンしたラーメン屋で、
支那そば屋に端を発すると思われる清湯・淡麗系ブームの中で
比較的早くからあっさりとしたラーメンを提供することで人気を得た。
2014年にミシュラン東京のビブグルマンに掲載され、
2016年始にミシュラン東京本編の一つ星を獲得することで
全国で(あるいは世界で)最も注目されるラーメン屋となっている。

僕個人で言うと、東京ラーメンオブザイヤー(TRY)2012-2013で醤油部門新人賞を受賞した後に1度、
次の年に名店部門で受賞したときに一度行っており、どちらも午前の部約45分の行列でありつくことができた。
客層は幅広く若者から高齢者まであり、巣鴨と言う立地特性もあるものの
蔦のラーメンの持つ普遍性や波及性を感じさせるものであった。

ラーメンについて少し詳しくいうと、
鶏と魚介を効かせたあっさりとしただしと醤油の香りをストレートに効かせたたれは
淡麗系の王道を行く物であるが、きのこの香りが懐かしさを感じさせる物だった。
これが1度目に食べたときの感想であり、鳴龍と似た「そうめん系」と呼んでいたが、
その1年後にはまた違ったラーメンに進化している。
大きくは黒トリュフペーストとライ麦だったかのラーメンでは特殊な麦を使った麺の採用であり、
洋のテイストを大胆に取り入れた無二の味を獲得している。

2014年には2号店の蔦の葉を近隣にオープンさせているが、
こちらはまた違った鴨ベースのおしとやかな味である。
店舗ごとにコンセプトを変えるのは最近の元気なラーメン職人の間では普通のことだが、
特に蔦においては2店の味は別物に近い。

そんなわけで僕の中では「けっこううまい店」の一つだった。
しかし2015年にTRYで再度名店部門で受賞するのを受けまた行こうかと思っていた矢先、
ミシュランの星獲得のニュースが飛んだ。


そこでの僕個人の感想は、「ついにラーメンもここまで来たか」ではなく
「ついにミシュランもここまで落としたか」である。
蔦をディスるわけではない。蔦は上記の通りけっこう美味い。
味を大胆に変える姿勢や味そのものは一ラーメン好きとして賞賛するものである。
しかしミシュランか、と言われると僕の理解を超えるのである。


たしかにこの数年でミシュランは大幅に敷居を下げており、
東京版発行から札幌版発行、ビブグルマンで安価なグルメを紹介するなど
僕の少年時代からは考えられないほどカジュアルな物になってきている。
僕が元々ミシュランについて持っていたイメージは次のようなものである。


・星はフランスの高級料理店または由緒ある伝統的な料理店に限り与えられる
・一つ星の店で予約は1ヶ月先、三ツ星なら1年以上先もざら
・女性がシェフを務める店は二つ星まで、外国人がシェフを務める店は一つ星までしか取れない
・三つ星から二つ星に降格された店のシェフが自殺した


以上は15年も前にテレビの特集で見た情報に半分僕の記憶違いも入ってるので嘘が入ってるだろうが、
ミシュランの格式の高さと言うのは今日と全然違うものだった。
星を取った店で食べるなど夢のまた夢だし、
老後にもし余裕があれば行けるかも知れないくらいに思っていたが、
年々ハードルが下がりついにラーメン屋が星を取ることでこの夢はあっけなく(しかも後付で)
この夢は実現してしまった。


ところで僕だって稀にではあるが1食1万円近いたっかいフランス料理を食べることもある。
それらの料理は僕レベルの舌から言えば趣向を凝らした・見たことも無い・絶品料理であり、
そこでの食事は値段以上の贅沢を感じらる素晴らしい体験である。
高級店はサービスも素晴らしく、(予約するから当然だが)客を待たせることもないし、
水が飲みたくなれば手を挙げるだけで持ってきてくれるし、
ワインの知識が無くてもこちらの好みに合う(合うだろうではなく、合う)ワインをすぐに選んで出してくれるなど
兎角至れり尽くせりである。


当然これらのサービスはラーメン屋には不可能。
味についても原価の制約がある限りどう逆立ちしても超えることはできないのだ。
僕も暇なときにいろんなラーメンを食べているが、
1万円のフランス料理を超える味のラーメンなど無いことは断言できる。


僕にとって驚きなのはそうした店ですら星を持っていないこと、
つまりミシュランの星というのは僕の知る限り最高の店を超える料理とサービスを提供する店に
与えられる、と思っていたのだ。
だから蔦が星を取ったときは、店主はじめお店の方には申し訳ないが、がっかりした。
僕の好きなラーメンが国際的な評価のテーブルに乗ったこと自体は喜ばしく、
ビブグルマンの店はじめ他のラーメン屋は益々レベルを上げてくれることを期待しているが、
果たしてそれがミシュランなのか。


じゃあどうなれば良かったのかと言うと、一つ僕の意見としては、
世界最高権威の料理評価軸であるミシュランの星はもっともっと高い目標であって欲しい。
どんな料理でも最初はサブカルチャーだったはずだ。
すきやばし次郎の寿司だって江戸の庶民文化に長年磨きをかけて生まれたものだろう。(行ったこと無いけど)
格式高いフランス料理だってイタリア料理だって最初から格式高かったわけではないし
大昔の物は今ほど美味しかったわけじゃ絶対にない。
そう言った意味でラーメンはまだまだ発展途上の食文化だと思うのだ。

長野戸隠のそば店・うずら家に行ったことがある。
そこで食べた磨きぬかれた蕎麦は僕の知るあらゆるラーメンよりはるか上を行く味だった。
そば粉の一粒一粒まで吟味されたかに思える緻密なそばは完璧に温度管理され、
肌で感じる長野の気温と湿度に対し絶妙な芯の冷たさを持つかに思えた。
つゆの甘さと辛さ、香り、大根おろしの粗さ、辛さ、
さらには少し古びた店のつくりまで完璧に思えた。
ラーメンはまだ蕎麦に敵わない。数百年の歴史はこれほどまでに厚いと感嘆したものだった。
ある種、高級な(1万円程度の)フランス料理に比肩できる魅力をもった物だった。


そば切りの初見は1574年、信濃の古文書での記載である。
市井に普及したのはその後の江戸時代、
現代も続く老舗の「砂場」が1757年には大阪で営業していたとされるが、
そこからとすれば蕎麦には約250年の歴史がある。
一方近代的なラーメンを出した専門店は1910年にオープンした浅草の来来軒とされるので、
そこからとすると約100年。
一方でラーメンの単語を国民一般が知るようになったのは
1958年の日清チキンラーメンの発売が契機になるので、
普及後で言えばラーメン史は50年ほどと見ることもできる。


そんなわけで超単純に言えば(実際は職人の数も店舗数も全然違うのだろうが、)
蕎麦をおいしく工夫できた時間と言うのはラーメンより200年長いことになるのだ。
こんなのは暴論なのだが、僕はその200年の壁を戸隠で見た気がした。
(ただしこれは不味いという店は蕎麦屋の方が多い。。)

話戻るが、蔦はラーメン屋の中では「けっこう美味い」。
誰にでもお勧めできる、極端な行列の無い信頼の置ける店だった。
しかしミシュランの一件以降5時間待ちが常態化し、
普通の気持ちでは行けない店になってしまった。
何時間も待ってから食べ終わったおばちゃんがテレビの取材を受けて、
「とてもあっさりしてておいしかったわーん」とか言ってるのを見ると、
あんた絶対普段ラーメンなんか食べねーだろ、あんたらの一時のミーハーのせいで
俺はもうその店で食べれないんだ。
という邪念が噴出してくるのを抑えようがなく恥ずかしい限り。
その通り、俺はあんたらみたく5時間並んでまでそこで食べようと思わない。だから負けだ。
(行列をわざと作ると言う狼藉をやってのける松戸のT田を思い出すとまだ落ち着いてられるんですが)
まあ、ラーメン食べてると栄養が偏って思考も醜くなるのだ。


そんなわけでまとめるとこうである。
?僕は格式高い昔のミシュランに憧れていた。
?ラーメンはまだまだ食文化としての完成度が低い。どんなに美味しい店でも例外無く。
?そんなラーメンに星をあげるミシュランが残念というか複雑な気持ちである。
?ラーメン文化にはもっと発展してもらい1万円のフランス料理コースを超える物を作って欲しい。
?松戸のT田だけは許せん