【どくしょかんそうぶん】ライ麦畑でつかまえて

"師匠"植地くんと最後に会話したのが約3年前。
うーん。すげー昔だ。
彼はかなりの読書家のようで、このときはたくさんのおすすめ本のタイトルを教えてもらった。


その最後の会話の際に出た一冊が『ライ麦畑』で、なんの脈絡だったか覚えてないけど
そういえば読んでないなと頭に残ったのだった。


高校以降たいして本を読んでなくて読書無精になっている。
本を読む際はネットで評判を見てから読むか判断する癖がついていた。
ライムギ畑についてネットで調べると、「アメリカ青春文学の最高傑作」「いまだ読み続けられる不朽の名作」
と結構な評判。さっそく読んでみることにした。


この本。中学・高校・大学時代に1回づつは読んでおくべきだったと思った。
いずれ子供が出来て男の子だったらウザがられても激推しするだろう。
この本は子供から大人になる時期物凄く読むべき本である。


筋としては10代の少年が学校の寮を抜け出して夜の大人の世界を冒険するというもの。
少年は自分はもう大人だと思っていて、何事もうまくいかない現状を否定し夜の街=大人の世界こそが自分の居場所だと考える。
けど夜の街は彼を受け入れない。なぜなら彼は自分で思ってるのと違って外見的にも内面的にもまだ子供だからなのだ。


こういう勘違い。誰にでも、中学時代と高校時代と大学時代、そして大人になってからも、
それぞれ内容は違う物の、ある。誰しも自身の身の丈を完全には理解できない。
もっともこのギャップが持つ位置エネルギーは向上心を生み出す物だが、
身の丈の合わなさをカバーしてうまく世の中と付き合うことも大事な物で。


それはそれでこの小説の大事な所だと思うんだけど、僕がこの本をもっと気に入っているのはもう一つのポイント。
主人公の少年はこのギャップを否定する為か、あるいは本心から、
大人の世界には今一つそぐわない"純粋な物"を愛する。
それはまだ純粋無垢な彼の妹の言葉だったり、
ライ麦畑で遊ぶ子供が崖から落ちそうになったらそっとつかまえてやることの美しさだったり。


著者はこの美しさ・正義を主人公の間違ってるところと並べてみて読者に問いかけてるんじゃないだろうか。
「まあそのへんも含めてうまくやるってことだよ」と誰かに言われそうだがうーん。本当にそうか?
ピーター・ライス自伝なんか読むと、ライスはすげー純粋で目からうろこが落ちます。
まあエンジニアっていう職能に自己陶酔してんじゃって話はそれはそれであるとして、
純粋ゆえに説得力を勝ち取れることってあるんじゃないかな。
そしてそれはライスみたいなすごい人じゃなくても可能性は…
そんな希望的観測も込めて、僕はこの本を推します。