『デザインのデザイン』原研哉

「デザインをわかりたい人たちへ」という帯文句に惹かれて手に取った。

意味をよく知らない言葉を普段使う事にはストレスを感じるものだけど、
こと「デザイン」という言葉については、自分が「建築デザイン」あるいは「都市地域デザイン」という専門に属する以上
辞書に載ってる以上の認識を持つべきなのかもと思った。

ただこの本はデザインの定義や守備範囲を網羅するものでもない。
著者が「グラフィックデザイナー」あるいは「コミュニケーションデザイナー」と自らを位置付ける中で
考えている事、取り組んでいる事から「デザイン」に接近した内容と捉えられる。

考察はしかし広い範囲に及んでいて、
日常生活、世界に向けたメーカーの戦略などとデザインとの関係や
日本から世界に発信し得る固有の価値観、エコロジー観などにまで及ぶ。

それら全てを横断する概念として「情報」とデザインの関係を考える必要を最終章では唱えているが、
ここで一応の方向性を導きだしている。
自分もここではじめて建築にも通じる部分を見た気がする。

著者曰く、「情報の美(?)」に到達するために必要なのは
1)わかり易さ
2)独創性
3)笑い
である。

ここではある主体間の情報交換をとりもつ立場としてのデザイナーが目指すべきものを述べている。

内藤廣が『構造デザイン』の冒頭で「デザインとは(場所/機能/時間の)翻訳行為である」と述べていたが、ここに通じるものがあると言える。
要は建築においても広告においても、デザインするという事は何かと何か(人に限らず)の間のコミュニケーションを取り持つということなのだろう。

ただ当然の事だが広告あるいはグラフィックと建築が大きく違うのは、
一品生産であること、固定財であること、耐用時間が一般的に長いことだ。

著者が挙げた三つの項目は広告等で瞬発的なコミュニケーションを考える際には有効だと考えられるが、
建築を考える際にはあまり問題とされないしされるべきでないと思う。

ではどんなふうにしてコミュニケーションが媒介されるのか。
なんだかあまりに途方も無い大きな問題だが、まずは先の内藤廣の著作に手を伸ばしてみようと思う。


最後に作中で気に入った言葉。
「着眼大局着手小局」
地球の裏側のことを意識しながらも、それに向けて仕事を始めるためにはまず机の上を片付ける事からということ。
フラーの「Think globally,act locally」に似ているけども肩の力が抜けた感じがいい。