高校美術3つ目。
建築設計というよりインテリアの提案ですな。


経済学で言えば家計は一番基礎的な経済単位。社会学で言えば家族は一番基礎的な社会単位。らしい。
核家族型社会を前提とすれば多くの人が家族の中で育って社会に放たれてまた家族を作る。


そんな家族に対する極端かつ単純な提案。だったと思う。
中学に入って個室を与えられた自分は家族と離れたいと思う一方で家の中で孤独も感じていた。


構成要員間の距離感が微妙に変化しながら家族は育っていく。
それを一回ひっくり返してみることで何か見えてこないかと思った。んだな多分。


実生活を思うと(あくまで一般的にと思って欲しい)、父親は風呂上がりにパンツ一丁で居間でビールを飲んでるし、
幼い妹は部屋中散らかしては泣きわめいている。テレビのチャンネル回しで喧嘩し、大声でたしなめる母親。
家の共有部分は割と混沌としていてそれなりに自由だ。


そうかと思えば親は寝室で夫婦生活に励むし思春期を迎えた息子は拾ったエロ本を開いて自慰にふける。
幼い妹は学校で残した牛乳を押し入れに押し込んで腐らせる。
個人生活も混沌としている。


とはいえ、当然だが、両者の間にはある一線が存在する。
それをぼやかせばいったい何が起こるかは想像に難くない。家族の崩壊と言う末路だ。
この提案で逆説的に家族が持つ均衡とその危うさを考える事ができる。
当時は知らなかったけどこれは北海道にいる某建築家への批判にもなる。
ある意味で建築が家族関係にタッチすることはとても恐ろしい事だ。遊び半分にいじってはいけない。



でも2年前、北海道のある建築家(上記と別の方)に言われた言葉。


「ダイニングの東側に窓を開けると家族間の朝の挨拶が増えるんだよ。」


建築にしかできないこと。渋いね。
都市やら建築やらで切り離せないというのはなんとなくわかるんだけどなんでか建築家の存在意義を求めてしまう。エゴでしょうか。まだかじってもいないのに。

UN 40―40歳以下の北海道の建築家による雑誌

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どうしようかな将来。