新建築棟に関するあれこれそれ

少し前になるけどうちの大学の建築棟が新築された。


で今設計に携わった方達の中に紛れ込んで、新建築棟の設計テキストみたいなものを作るのを手伝っている。伊東豊雄のつくる図書館をなんとかっていう本みたいな感じだろうか。


設計に際して考えられた事とか、マスターアーキテクト?のK教授の建築に対する考え方がいろいろ出て来ておもしろい。


ネタが増えたところでいろいろ書いてみようと思う。


批判的な事も言うかもしれない。設計した人が見てない可能性が高い場でこういうことするのは卑怯かもしれないけど…
いずれは当事者にも聞いてみるつもりということでご容赦を。


・・・


新建築棟は知れば知るほど面白い建物だ。
テキストはK教授へのヒアリングをもとに作っている。
教授の今までの経験や学んだこと、考えた事が何枚も輻輳化し、それらが固まってシンプルな形に落ちたのが新建築棟という感じだ。
そういう意味ではすごく個人的な思いが滲み出た物だとも言える。


カーンを発想の端緒としながら原型的なマスの建築やモダニズムを執拗に参照している。
それに加えて環境建築の新しいモデルを作ってやろうという挑戦だとか
敷地である大学キャンパスの読み込み方だったりとか


設計者の建築観と外在する社会/大学、それから建築学生の建物っていう建築の役割っていう、大きく見て3つの要素から読める。


それぞれに対してちゃんと突き詰めてあるしその融合の仕方もスマートで普通に優れた建築だと思う。
ただ気になるところがいくつかある。


その一つはなんというか、情緒的なところ。
この建物には「いわゆる」窓が無い。
無くても中の温度環境がきちんと調節されるからだ。
その辺の話すると長いので割愛するけど、これまでの一般的な建築とは違うオペレーションのされ方で環境が調節されるようになってる。だから窓は必要ない。
外からの風が通り抜けない。
そういうことは優先順位的にはずされてる。環境建築のスタンダードを作るというもっと「大きな」コンセプトがあるからだ。


それから「教材としての建築」というコンセプトがある。
その表現はさりげなくしようと努めているのがわかるが、ときどきいやらしさが垣間見えると思う。
これ見よがしに座ってくださいという感じの段差。
取って付けたような排気口。
まあ重箱の隅をつつくような感じですが・・・。


それら合わせて何を考えたかと言うと、なんというか建築ってもっとプリミティブでいいんじゃないかと思った。
窓を開けたら風が入って来る気持ち良さとか。
ただ立ってる壁の脇が喫煙所にるラフさとか。
「なんとなく」作られた「なんとなく」いい場所とか雰囲気がある建築の魅力というか。
本当に俺の個人的な感想だし、テキストを作ってる事情もあるんだけど、
ちょっと新建築棟にはガチガチ感があると感じてしまう。
それは設計者の意気込みの現れなんだろうけど、肩の力が抜けた魅力が入り込む余地が無くなってしまってるんじゃないか。


設計者とのジェネレーションギャップなんだろうか。


今回はひたすら私感を書いたんだけどみんなはあの建物をどう見てるんだろう。