幾何学について

後輩たちと一緒にコンペに取組中です。


画像の一番下の左の丸いのが今回やってるやつの平面なんだけど
フラクタル図形の一種だそうだ。


建築の特に立面を考えるときに黄金比とか等分割とかを使うのは
コルビュジェが著作の中で強く主張するように
建築設計の基本的で初歩的な方法のひとつだそうだ。


俺なんかスケッチもずっとさぼってたし美大の人たちみたいに
美的なセンスも鍛えてないのでよくこういうやり方に頼る。
(厳密にはずれてるかもしれないけど。モデュロールの比例の使い方とか違うし。)


んで考えるのはこういう方法の危うさだったりする。
比例に頼れば、あらゆる立面図は「自動的に」引けてしまう。
設計者の想像力にたがをはめてしまうかもという懸念が出てくる。


特に一番下のコンペの平面を見て欲しい。
なんかそのまんま当てはめてる感じじゃない?
自動的にできちゃう臭が強い。
(これはこれでいろいろあるんだけど。終了前のコンペなので詳しくは述べず。)


さらにこれがモダニズムの流れの中でもてはやされた事。
黄金比の存在は人類共通の美意識の存在をほのめかしている。
時に危険なユニバーサルの考え方だ。


ちなみにジョジョ第7部のスティールボールランでも黄金比についての言及がある。
荒木先生は西洋美術が大好きらしい。
曰く、黄金比は生命の形態を構成する普遍的な比例。生命は美しい。だから黄金比も美しい。と。
フラクタル図形にも同じ事が言えるだろうか。


先生の考え方は大好きだが、ちょっと注意深くなりたい。
日本では黄金比よりも白銀比(1:√2)が多く使われて来たそうだ。
やっぱり場所ごとに固有の美意識とか世界観があることを忘れてはいけない。


(結びが思いつかない・・・)


ここしばらく議論されてる「かわいい」という概念はまた違うものだそうだ。
不格好だからこそ魅力的なのがかわいいっていうことだと雑誌で見たけど
これってベンチューリが言ってたことと似てるのかな?


でも俺はこれをあんまり好きじゃない。
「かわいい」も場所性が無いからだ。時代性はあるかもしれないけど。
場所性が欠落した概念は下手すれば建築家のエゴを増長しかねないと思う。


(論点がずれてきた・・・)


で、今のところの自分なりの結論だけど


比例は絶対視してはいけない。
でもプロポーションを決定する時のツールにはいい。


普通だなあ・・・。
まあ今回の記事はそもそもがコンペ案に対する葛藤なのだ。
このフラクタル図形を下敷きにいかに味をのせていくかっていうのが悩んでるところ。


本当は先にアイディアがあって幾何学はあとづけしたいものだけど
今回「フラクタル」が出た時点で形が決まってしまったので。
どうするか考え中です。

インフォーマル

インフォーマル