『素材の美学ー表面が動き始めるとき…』エルウィン・ビライ

たまに建築の知識をインプットしようと思ってたまたま入手した。
でもこの期待は裏切られたと言ってよい。
amazonジャケ買いするとたまにこういうことがある。


でもそれはけして悪い意味ではない。
思考を促すゲーム性に富んでおり、頭の体操にはちょうど良い本だった。


以下内容と構成。
全体としては12冊の本の紹介を通してある筋道を立てている。
一冊一冊を文章と写真で紹介するのだが、それぞれが相互補完する形になっているのだろうか。
文章で建築のこと、著者の言いたい事をすべて理解する事はできない。
だから写真と併せて紹介する。
写真は文章と比べて媒体そのものが持つ情報量は多いと言ってもいいだろうか。
(一概には言えないかもしれない。)
逆に文章は写真よりも抽象性が強い傾向にあるため、書いてある事以上の事を伝えようと思うと書き手と読み手の能力が問われて来るだろう。
どちらかがより多くを伝える可能性もあるしその逆も然り。


文章から何を読み取れるか、写真から何を読み取れるか、
文章で伝わらない部分を写真がどう補完しているか。
考えながら読み出すと脳と目の複雑なやり取りが心地よくなってくる。


前段が長くなったが、内容もじつはこういうことなのだ。


建築をメディアとして見る。
この本では議論に軸を与えるためか、それとも著者の確信をもってかはわからないが
建築の「表面」に着目している。
表面と人間とのやり取りというものを考えると、そこには、
この本を読む感覚と似たような、でももっと複雑な目と脳とのやり取りが存在する。
もちろん脳と接続する感覚器官には目以外のものが4つある。
それらとの関連も軽く触れているが、議論の中心になるのはやはり目だと読み取った。
人間はウサギや犬と比べてもわかるように、鼻や耳よりも目に依存して生きている。


さらに建築(特に表面)と人間とのやりとりをひとつの重要な論点に置きながら、
その前後につながってくる話が一連の流れを持って語られる。


建築家の職能、伝統(倫理)との向き合い方、敷地と建築の関係、建築と芸術の関係等。
(11章のH&deMの講義の引用でそれらが繋がる。)


建築をメディアとして見るということは前に原研哉の本を読んだ時にもなんとなく考えた。http://d.hatena.ne.jp/minami761/20090105
研究室ではぜんぜん勉強しない事だけど、こういうこともきっと建築家にとっては重要なものなんだろう。


うちの研究室は都市計画を専門としているが、


地域ー都市ー地区街区ー建築ー人間ー集団ー社会


という円環(便宜上スケールで並べたが互いにジャンプする)を考え、この中での建築について考える時に建築と人間の一番直接的で単純で原始的な接点を媒介する感覚といった部分も考慮に入れなきゃいけない。
この本ではたまたまフォーカスしてるけど、表面の重要性というのもなんとなく諒解される。


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さて。この本から抽出される論点は多岐にわたるので個人的に興味深い部分を最後に述べようと思う。


それは闇について。
物理的に言えば、光は存在するけど闇は存在しない。光の無いところが闇。
目が捉えるのは光で闇というものは実際見えていない。
それはそうだ。無いんだから。


でも俺たちは闇を感じ取る事ができる。
無いものとしてではなくてあるものとして認識しているんじゃないだろうか。
そもそも「闇」って言葉が存在する事がそれを裏付けている。


そこで固有のものとして闇を考えると、それはあるポテンシャルを秘めている。
本の中で紹介されているが、例えば集団のための瞑想空間をつくる時に闇は効果的だ。
人間の知覚が目に多くを依存しているため、普段建築の内部にいても
目で感じるもの以外を意識する事は少ない。


そのため、光を制限する事によって(逆に闇を与える事によって)
普段意識しない視覚以外の感覚が一気に意識される。


音に敏感になり、温度や湿度に敏感になり、臭いに敏感になる。
人間が本来持っている世界の知り方が強く再認識される。
一方で不安感や落ち着きといった感情も動く。
これは個人の体験に対しても大きな作用だろう。


さらに「集団の瞑想」に寄与するためには、さらなる演出が考えられる。
蝋燭一本に灯をともせば、奪われた視覚のよりどころを求めてその場にいる全員の意識が蝋燭に集中する。
集団のばらばらな感覚や感情がこうして統一されていく。


これくらい人間を動かす力が闇にあるとしたら、
「いかに闇を作るか」という方法で建築をつくっていくやり方もあるんじゃないだろうか。


窓を開けるのは光を入れるためではなく、闇を彫刻するため、という発想の転換とか。


安藤忠雄は自身を「闇の建築家」という。
安藤建築を訪れた時に感じる深い落ち着き、不安感、母親の胎内に戻ったような感覚はきっと闇によって演出されている。


本の主題に戻るなら、暗い部屋の壁に一筋の光が落ちたとき、建築の表面の材質はより強く意識されるんじゃないだろうか。
それは表面と人間のやり取りをより強く演出することになる。


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長くなったが、いろいろ読める意味でもこの本はおもしろかった。
いろいろと受け止める余地がありはっきりと物は言わない。でも読む前とは何か違う。ぼんやりした本。


建築もそういうものなのかも。

素材の美学―表面が動き始めるとき… (造形ライブラリー 02)

素材の美学―表面が動き始めるとき… (造形ライブラリー 02)


※知覚、認知、認識といった単語をごっちゃにして使いました。間違ってる部分が多いと思うので不快感を与えたかもしれません。陳謝。