『様式の上にあれ』村野藤吾著作集

モダニズムの渦中にあって、建築の普遍の価値を追い求めた真摯な感性が響く。」
帯文句にやられてしまい即決購入した。(実際買ったのは少し前なんだが)
正直流し読みなので理解もしょぼいし読んだことある人には見苦しいかもしれない。


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モダニズムみたいな強烈なテーゼが不在の昨今、僕らは何を拠り所に建築を作っていけばいいんだろうか。
「そんなの関係ねえ」と小島よしお的ニヒリズムで淡々と創作すればいいか、
所属研究室の哲学に乗っかればいいか、
コンペで提出される課題にいっこいっこ考察を加えていけばいいのか。


2年生で建築学科に分属してちょこっと建築の勉強をした。
あの時代はモダニズム、次の時代はポストモダン、あれこれの再評価…
4年生になってもっと昔のこともちょっと勉強した。
その時代の技術と哲学、それらが統合された様式。


じゃあ今は何か?
大きく見れば一般解よりも万の特殊解が重んじられる時代。
でも雑誌を見るとそんな中で「一発仕掛けてやろう」という意気込みをちらつかせる若手建築家たち。いかにも楽しそうにやっている。
でも彼らの作品もあんまり好きになれなかった。多くが陳腐だ。


じゃあ特殊解を導くための姿勢が自分達には必要か。
それはそうだろう。でも自分ら学生が普段当たるプロジェクトは、まあ、コンペだ。
勝とうと思えば特殊解の中にも「何か一般化できるもの」を仕掛けないといけない。
そこには微妙な息苦しさを感じてしまう。思い切り正しいと思うことなんてやれない。


じゃあお前は何がしたいんだよって言われるだろうが、
そこで出てくるのが先の帯文句みたいなことだ。
きっと建築には普遍的な価値がある。それはもう時代の潮流とかもすっ飛ばしちゃうような。
時代がかかげるテーゼも流行も飛ばして、一万年経っても変わらない姿勢みたいなものがないだろうか。


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村野藤吾は様式に批判的だった。
様式そのものというより、定式化された過去のものの反復に用いられる意味での様式に。
そこで提唱するのが「超様式主義」。
道徳と科学技術により正直に解答を導けっていうことか。
(なんかせまく理解しちゃってるかもしれないけど・・・)


無批判の批判は当然の前提。村野は片っ端から批判する。
モダニズムによる表面的な表現や装飾の批判への批判。
折衷主義建築への複雑な思い。
プラグマティックな価値観から生まれたスカイスクレーパーへの批判。


章の構成は始め(昭和4年!)に掲げた「超様式」を模索する過程と読めた。
建築と経済と土地の関係に着目してみたり、
素材と本質の関係について考えてみたり・・・
まあこの辺は難しかった正直。


難しいながらも、
建築家としてぶち当たる現実(経済)との葛藤、
モダニズムも含め個人の創造性を抑圧する様式との闘い、
そういった村野の「もがき」はありありと感じ取れた。


内容自体は難しいのに加えてそれ以降出版された本もいくらか目にしている故、
単語単語を取り出して理解してもさして目新しいものではないし今日では「別に」と片付けられる問題が多かったと思う。
何よりおもしろかったのは村野の姿勢。


そのあまのじゃくな性格。
大きな時代の潮流は批判する。
それに対する他人の批判にも納得しない。
常にあるのは「価値ある建築とはいかにあるべきか」その一問。


人が考えたことではなくて自分で納得できるものをあくまで追い求める姿勢。
一言で形容するなら、かっちょいい。
下手すればそれは独善に陥る。一歩踏み外せば無価値な独りよがりだ。
けして社会を無視したわけではない。真摯に向き合おうとしたからこその反抗だ。


結局のところそれが大事なんだろうか?
村野の著作の登場人物は極端に言えば「社会」「建築」「自分」の三者だったと思う。
競争相手として、論者としての「他の建築家」は出てこない。
それらを退けて主役の三者に一本の筋を通すようなストーリーだと思った。


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村野は倫理道徳と科学に拠り所を求めた。それ自体は普遍的なことだと思う。


科学は無限に進歩していく。
でも倫理道徳は多様性が認められる時代だ。何を信じていいかもわからない。
だからこそ図式を単純にする意識が必要なんだろうか?
つまるところ倫理道徳の拠り所は自分に帰着せざるを得ないとしたら・・・
「社会」変わるもの。
「建築」変わらない価値があると思いたいけど結局社会に従属するもの。
「自分」その中で揉まれ変化しときには陳腐化しながらも最終的な拠り所になってしまうもの。


結論としては、今の時代が何かという正しい結論が出なくてもいい。
でもぼんやり捉えた現代に対する自分なりの姿勢は絶対必要ってことか。
またなんか普通な結論な気がするがww
巨匠の本は建築論の勉強というより生き方の勉強になっちゃうな。


様式の上にあれ―村野藤吾著作選 (SD選書)

様式の上にあれ―村野藤吾著作選 (SD選書)