9月25日金曜日


特に書きたいこともないけど日記が書きたくなったから書きます。


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シルバーウィーク近辺はどうしても出費が多くなるし同時に頭がぼけていく。
久しくあってない友人と飲んだりとか珍しく気合い入れて料理作ったりとかちょっと遠出したりとかで
こうエネルギー的な物は充填されていくんだけど放電する先を最近見失いがちで。


新しく手をつけてるコンペも卒計ぐらいから意識してたことの再確認作業になってるし。
後輩の卒論の手伝いもある意味研究室で勉強して来たことの再確認作業で。
ふつふつと沸き上がって来るものをハイテンションで形にしてぶつける創造的な楽しみが最近無い。


でもこんなふうに作りたい時が作り時っていう気分というか前提はおそらく贅沢なものなんだろう。
だからこそ勉強は続けないといけないわけか。


事実、そろそろ修士論文も考えなきゃいけないようだし。泣けて来るぜ。


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新しく手をつけてるコンペで考えてること・・・


ゲル状の空間。理想的には霧。
境界を考える上で霧はおもしろい。壁とかガラスとか、あるいは2本の柱を立てたり軒を出したりとかで普通境界は作られる。
物理的に隔てられる境界(壁、ガラス)があれば実際は無いけどあるような気がする境界もある(柱、軒)。
でもこれらを短絡的に設計作業に落とした際に共通するのはある程度平面上に線が引けてしまうこと、あるいは位置が想定されること。


それでは面白くない。
ここで設計がうまい人はそれら一般的なエレメントを使いながら相対的に変化する境界をつくれる。
境界の重ね合わせだったりとか視覚的な効果を利用した方法だったりとか。
寺社の名作を訪ねたりアールトとか巨匠の住宅の図面を見た時にそれは感じ取れる。
若い人なら平田アキヒサがそんなことを言ってたっけ。


こんなことを考えながら自分の体験を掘り起こしてみると釧路での霧の経験が浮かび上がる。
360°を霧に囲まれたらそこは仮想的に個人の部屋になる。
その奥行きを計ることはできない。飛躍するけれどもそれは無限の広さを持った空間なんじゃないか。
宇宙空間(夜空)と同じ。星を見るとそれは一枚の面に見える。でも違って、そのすき間全てを闇という粒子が充填しているようにも思える。
それから気づくが、その粒子は自分の身体の表面まで全て覆い尽くしている。
でもそれは結局意識次第だから、もっと目に見え易いそういうものとして霧があると思っている。


卒業設計のときはカナアミと鉄骨トラスでそんな雰囲気を作れないかと思っていた。
でも無理だった。トラスとかカナアミの持つ強い存在感がやはりあり、そこから雰囲気を純粋に抽出することは困難だった。


石上ジュンヤも噴霧装置のある展示空間のあと柱だらけの工房を作ってたっけ。
あそこまで柱を細かくすれば霧の境地に近づけるのかもしれないけどまだ怪しいと思う。


そこで今回はもっと安っぽい方法に頼ってみることにした。
目下、薄っぺらい物を無数に錯綜させてみている。半透明を作るために半透明な物を使うって言う幼稚な発想で。
「建築」的な物以外にも建築的な可能性があると思う。
鏡とか電気モーターとか液晶画面とか電話とかだまし絵とか写真とかクイズとか。
ちょっとはずれるとろくなことにはならないんだけど建築的ではありませんといって可能性に蓋をすることもない。
出来上がりはいずれまた。


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写真は自分の処女作。ずっと同じようなこと考えてたのが天井に反映されている…。
まあ何とも言いませんが。


後輩たちが楽しそうなことをやっている。↓
http://kaigishitu.iku4.com/