ほくそ笑む建築家

3つ下の後輩からの呼びかけに応え、同期も交えて酒とともに建築談義を交わす会をやった。
おもしろかった。いくつかメモしとこう。
飲みながらのうろ覚えなのでだいぶ喋ったのと違ってるかと。指摘ください。


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①今建築と土木他の境界は揺らいでいるのか?


・石上ジュンヤなど。それは個人個人の考えがあるから一概には言わない。ただ境界が設けられる事でデザインの幅が狭まり完成物の魅力が弱まることはおもしろくないと思う。(m)


②ローカリティの時代にこれからの建築家はどうやって仕事するか?


・最終的なモノだけではなくてデザインのプロセスを設計し職能とする(Ig)
・ローカリティをしっかりと理解する事、評価する基盤がある事。しかもそのローカリティは表面的なものではなくて時間という厚みを持っている。どこまで掘り下げられるか。例えばスイスを見るといい。(Ow)
・ポンピドゥーセンターは認められた。重要なのは何を作ったとしてもその先に責任を持つ事。(Ty)


③例えば設計演習で自分の案が理解されない時にどうする?


・あくまで初志を貫く。わからないと言われても突き詰めていけばいつか理解される。(Ig)
・向こうが用意した土俵があるならそこに乗った上で勝負してその上を行く。(m)


④決定ルールとオーバードライブ


・3年生の間で話題に上る。どこまでをルールとするか、何を根拠にルールとするのか(Ky)
・先にあるのはいい空間のイメージでそれを正当化するルールを作れば?つまりずるくやる。(m)


⑤作家性について


・70年代からは作家性と空間性が一致し出した時代。(Ig/鈴木了?)
・研究室ごとに受け継がれる作家性もある。坂本研など。(Ow)


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明確な論点が貫いたわけじゃないけど、みんな気にしてそうなのは
「建築家と受け手のコミュニケーションの方法」
だったと思う。
ローカリティについての話でも設計演習の話でも問題は同じで、どう理解させるか、どう対話するか、どう設計に落とすかというのが気になるところ。
トピックとしては意識論から手法論までいろいろとある。
さらにこれについて語り合うと各々の性向が出て来て、例えば手法発明派、空間原理主義、ローカリティと真摯に向き合う派とかに分かれる。(違うと思ったらごめん。)
3年生のみんなはこれからどう考えるようになるだろうか。またやりましょう。


翌日、久々にK教授のお説教を受ける。昨日の話と並べてみると刺激的だった。


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・なぜこの本を読んでもらっているか(『21世紀の歴史』ジャック・アタリ)
・資本の集積地に飛びつく産業がある。特に建築はずっとそうだった。翻弄される存在。
・生涯をかけて意味のある仕事をするときに、ただ無自覚に翻弄されるままでいいのか。
・自分がどういう流れの中で今その仕事をするのか、考えて欲しいし知っていて欲しい。
・その上で提案しないと意味のある仕事などできない。


(以下話がそれる)
・最近の雑誌に載る表面的で単発的な仕事はおもしろくない。
・教員たちは2こと目には「コンセプト」。そんなに重要な物か?
・本当にいい建築、長時間生き続ける建築にコンセプトがあるか?
・日本でいい建築を作る人間は吉村ジュンゾウ以降いない。厚みのある物を作って欲しい。
・(以降、某設計事務所の批判)


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こういう話にはかなり共感できる。というか否定しづらい。
強い説得力を持つため感化されがちだし、自分含め先輩後輩同期研究室の人間はかなり感化されていると思う。
ただ今の建築が全てつまらないというところには違和感がある。
それは全く別種の魅力だ。ただしそれが今の人も今なりにまじめに考えた結果が今の建築だとするなら。
ただ精神論になるが、やっぱり功名心だとかが見え隠れする建築は嫌悪する。
いろんなスタンスがあるだろうが、自分は魅力的な空間が持つ力を盲目的に信じているし、今の所疑うつもりもない。


いずれにせよ一番悪いのは知らない物の可能性を切り捨てて考える事で、
ぱっと見うまくないけどよくよく知ればまあおもしろいということもある。
遊びが次の時代を切り開く事だってあるんじゃないか。
バラガンの自邸なんて完全にバラガンの自慰行為でしかないと思うのだが。


とりあえずいろんな人の話を聞こうと、何度目かわからないけど自分に言い聞かせる。


今回はブログらしく日記ということで。以上。

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