portfolio-18-2-卒業設計②

②人間・・・


ノーマン・フォスターの建築が大好きだった。今でも大好きだ。
勝手な解釈だけど、彼の建築には愛が溢れていると思っている。
科学技術はなんのためにあるだろうか。人間が幸せに生きるためだ。
そんな素朴なことを彼の作品は全く踏み外さずに表現していると思っている。
彼のドローイングを見ると、巨大架構の下でたくさんの人間が本当に幸せそうに過ごしている。
また地球環境に寄与することは未来の人間たちが幸せに生きることを約束することと等しい。
いずれにしても賢者バックミンスター・フラーの弟子である彼は人間のために技術者がすべきことをその発想力とクラフトマンシップのもと真摯に考えて行ってきたんじゃないか。


オープンデスク先で紹介されたピーター・ライスの自伝を読んでからずっと気になって来たことだった。
なによりこういうことを考えてる時間は気分がいい。


これは卒業設計に落とし込めた話ではなくて、できなくて反省している部分。
受け売りの哲学があっても結局技術が無ければ何も出来ない。
技術が無い技術者ほど無意味でお荷物になるものもないだろう。
卒業設計に取組んだ自分はこのお荷物を地で行っていた。
フォスターみたいな空間を想定したとしてもそこでいかに人が幸せに過ごせるかを思い描くのも技術。
空間を構造的に成立させるのも技術。
穴を掘ることがどれだけ土地にダメージを与えるかを知っているのもまた技術。


もう一つ。霧の話で書いてた?人間関係についてのこと。
つながりを強要しないけどなんとなくつながっている感覚、それが得られる空間が欲しかった。
それはプランと格闘しながら一応手法には落ちていると思う。
スカイフィッシュみたいな平面がそれです。これはのちほど。


画像:謎の飛行生命体スカイフィッシュ